「吉相印」で人生が変わった その7

しあわせ開運塾 《 気づきの言葉 》

今日もご覧いただいて有難うございます。皆様が幸せでありますように!
〜運勢カウンセラー 鈴木ワタルの偉そうな独り言〜
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
┏┏┏┏      [本日のテーマ]
┏┏┏ 
┏┏    「吉相印」で人生が変わった その7
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
※私の体験談です。(前回その6からの続き)
■吉相印に出会う前の私の日々

母の死。父の再婚。

突然父が私に結婚しろと言い始めた。
本人の意思とは別に、父は知人に私の縁談を求めていた。
見合い話を次々に持ってくる。
封筒に簡単な家族構成や履歴を書いた便箋と写真が一葉。
それは、まるでカタログのようであった。

私は父を無視して逃げ出すことにした。
仕事が終わっても家には帰らず、知人の居酒屋やスナックで過ごした。
それは、1年間の内300日以上だったかも知れない。
父が寝床についてから帰宅する毎日。

「結婚しろ」
「親のためにか」
「そうだ」
人間性を磨きながら仕事をしっかりしなさい。
そして、少しずつ結婚も意識するように。と言うべきではないのか」
「一人前でない子供が居ると、親も一人前になれない」

そんな、理不尽な会話に付き合っていられない。
今、思えば継母が自分の存在のせいで
私の婚期が遅くなったらまずいと父にプレッシャーを
かけていたらしい。

父は表現が下手でわけの分からない言い方をしていたようだ。
ともあれ、私は知人の居酒屋やスナックの常連となり
友人知人も増えていった。
父は私の意を解さず。アルバイトをしていると思っていた。

そんな、生活は3年も続いただろうか。
仕事はそれなりに手を抜かず平静に努力していた。
時々見苦しい深酒もしてしまう惰性で過ごす日々。
得ることも多かったが、青春末期の怠惰な日々。

悔やんではいないが、精神的に疲れが出ていた。

なぜ、こんなことをやっているのだろう。
私はこんなことをしていて良いのだろうか。
毎日の暮らしぶりが嫌になっていた。
しかし、自分を捨てて蒸発する気にもなれない。

居酒屋のカウンターで原稿用紙を広げ
「死にいたる病の淵より」とタイトルを書いた。
【次回その8に続く】
こちらもお読みください
「開運 吉相印」 http://www.k4.dion.ne.jp/~bw1/sub11.html
「無料運勢鑑定」 http://www.k4.dion.ne.jp/~bw1
「気づきの言葉集」 http://www.k4.dion.ne.jp/~bw1/sub4.html