「吉相印」で人生が変わった その5

しあわせ開運塾 《 気づきの言葉 》

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〜運勢カウンセラー 鈴木ワタルの偉そうな独り言〜
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┏┏    「吉相印」で人生が変わった その5
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※私の体験談です。(前回その4からの続き)

嬉々として、私は手にした「認印」を使いたくて使いたくて、
不要なものにまで押していた。何かが始まるような気になっている。
30歳の時である。

吉相印を私が手にする前の状況を話しておかなければならない。
大学を卒業して帰省すると、そのまま地元の企業に勤めた。
そもそも、それは望んだ進路でもなかった。
主体性の無い決断で道を選んだ。

姉兄が結婚し独立して父母と3人家族となる。
一人っ子の自由みたいなものが始まったかと思った5ヶ月後。
25歳の10月。
以前より食後の腹痛を訴えていた母が
総合病院で「すい臓癌、余命3ヶ月」の診断。即、入院。
開業医では「胃下垂」だったはずだ。

私と父との生活。会社と病院と自宅。食事作りと洗濯とアイロンがけ。
青汁が効くと聞けば、公園や河原でヨモギを摘んだ。
まずいだろうと、りんごと一緒にジュースにした。レモンも入れた。
冬が来る。保存用の冷凍庫を用意した。
毎朝、父はバイクで病室に運んだ。

正月が来た。母は家で過せた。
おせち料理を買って来て重箱に入れて体裁を整えたが、
それは、母の手作りよりまずいものばかりだった。
また、病院生活。
日に日に痩せていく母。それでも桜は見た。
当時一般的でなかったポケットベルを会社から借りて過ごす毎日。
こんな生活から抜け出したい。それは、思ってはいけない願望だった。
母の食欲は落ちていた。
後で飲むと言いながら、青汁はそっと捨てていたらしい。
時々襲う痛みに耐える母、薬は次第に強いものになる。

トイレにつれて行く時支えたその肩は細く小さかった。
私を負ぶったであろうその背も今しも折れそうに思える。
「癌」の文字が目につくとその本を読んだ。
「奇跡が起きたお経」と聞けば、そのお経を暗記した。
怪しくとも「効く水」と聞けば取り寄せた。
母は、6人部屋から2人部屋へと移った。
死神退散の「護符」を作ってベッドの下に貼った。
枇杷の葉エキスを作った。

個室に移る。
お灸をやろうとしたが、煙が出て看護師に止められた。
当たり前のことだ。それでも何が何でもの悪戦苦闘・・。
「○○ワクチン」はどうでしょう。「ビタミンC」は・・・。
素人の患者の家族。中途半端な知識で担当医に訴える。
けんもほろろ」と言うのはこういうことかと知った。

8月になった。夏祭りの季節だ。3日間つづく。
2日めの夜、様態は悪化した。医師は祭りだという。
翌日、家族に見守られながら母は静かに息を引き取った。
満56歳。
                【次回その6に続く】
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「開運 吉相印」 http://www.k4.dion.ne.jp/~bw1/sub11.html
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